一文字堂 刀剣

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無銘(傳志賀関兼延)                     0010014
鑑定書 日本刀剣保存会            250,000円(税別)

長さ 66.0cm  反り 1.6cm  穴 1 
鎬造  中直刃  刀身重量 817g
時代 明応(1492~) 国 尾張(愛知県)  
元幅 30.5㎜ 先幅 22.2㎜  元重 7.8㎜ 先重 5.2㎜
白鞘入り

志賀関兼延

志賀とは尾張の地名。現名古屋城の北に約2kmほどのところ。山田関ともいう。
もともとの出身は美濃の関、室屋関の祖兼在の子。美濃小山、近江佐々木城下、尾張志賀と移住。
鑑定書によると時代は明応。明応は1492~1501年。明応年間というと政治史では明応の政変が有名。
明応の政変はザックリいうと、細川氏と日野富子(まだ生きていたんですね)が中心となった足利将軍の首の挿げ替えクーデター。
戦国時代の開始時期は諸説あるが、応仁の乱とならび明応の政変からという考えもある。
兼延の時代はこんな感じの慢性的に戦の絶えない時代で、明応の少し前に京都の足利将軍家と近江の六角家の戦があった。
その将軍家の陣営に斯波氏が所属していたことから、兼延は美濃で作刀していたところを近江六角氏からスカウトされ近江へ移住、
六角家が戦に負けた後は斯波氏にスカウトされ尾張に移住したのではないだろうか。
この辺の時代から美濃鍛冶は急速に発展していって、いくら制作しても注文に応じきれないという状況だったというし、
産地に発注しても順番待ちで納期が遅い、納品の道中でのトラブル、有力大名家からの注文順番割り込みなどもあったろうし、
腕の立つ鍛冶屋はスカウトされて専属になっていったのであろう。
この時代の関物となると大量生産品の数打ち物と注文品とでかなりの差があるが、数打ち物は大概キャシャで頼りない。
本刀は無銘ながらガッチリとしていて戦場での相棒として心強い。正宗など納品先の決まっていたものは銘を切らないという風習がこのころも続いていたかは不明だが、本作も注文品(応需銘のあるような)とまではいかないにしろ、しかるべき扱いのものではなかったろうか。

鎬造 庵棟 板目ザングリと肌流れて柾がかる 鎬広くやや高い 匂出来の中直刃、鎺元辺り小足が入り、小沸がからむ
匂口深く、所々砂流しかかり、変化に富む。 
手元の名鑑によると大業物。いかにも丈夫で物切れしそうな実用刀。

傷・サビ
刃こぼれ 鎺近辺に小さく2ヶ所(画像8)、鎺も削れた跡があることから、鍔元で相手の斬撃を受けた痕かもしれない。画像はかなり寄っての写真なので実物は小さなものです。
何箇所か肌の大肌なところがあるが、バックリと開くような鍛え傷とまではいかないと思われる。
小さな脹れが破れた跡がある。画像9参考に爪楊枝をおいてあります。これが一番目立つものです。
刃切れはありません。
サビはありません。鎺下に鎺の古い油後がありますが、鎺をはめていると見えません。(画像7)

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