一文字堂 ICHIMONJI-DOU

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歴史系

ご挨拶の写真~龍馬の短い刀

ご挨拶のページに写真を出さねばと常々考えていて、ちょっと前に当流派の試合・大会があったのでその時に遺影を兼ねて撮影していただこうと。
遺影どんなんがいいか・・・着物で正装、刀を持っていて・・・とイメージを固めるため幕末の写真を見て回りました。もうお気づきとは思いますが、写真のポーズは桂小五郎の写真のパクリです。
あの桂さんの写真、かっこいいですよね。桂さんの来歴を長々書くのもなんなんで、そこはWikiにゆずるとして、練兵館の塾頭で男前でモテモテでうらやましい。そんな桂さん、自分と身長がだいたい一緒(約175cm)なんです。(目方は大分違いますが)幕末で175ってでかいですよね。平均が160とかもっと低い説もあったりとか。そもそも薩長や土佐の衆はでかい人多いですよね。龍馬も西郷どんも大久保内務卿みんな170~180あったそうで。
そんな桂さんの写真をまねして撮ろうとしていろいろ試行錯誤している内に気が付いたのですが、桂さんの刀って短いな・・・と。自分は昭和の人生まれの田舎者ですので足の長さ、座高との比率が幕末人とそんなに変わらないと思うのですが、おんなじ感じにポーズとると自分の刀で右手が鍔元、方や桂さんは頭いっぱいににぎる感じです。自分の刀でも頭いっぱいに持ってみたんですが、明らかに腕の角度が桂さんの写真のポーズにはならないんです。自分の刀の長さは約72cm。そこから比較すると桂さんの刀は60前後ぐらいしかないんじゃないか?と思います。長くても65ぐらいか?
そこで思い出したのが龍馬の話。龍馬のエピソードってゆうんですかね?よく聞く話で、龍馬があるとき土佐の後輩に会いました。龍馬曰く「これからは長い刀の時代ぜよ!」しばらくしてその後輩に再会しました。龍馬曰く「これからは短い刀のぜよ!」以下同様にピストル、万国公法となっていく話なんですが、ピストル・万国公法のとこはすぐわかるんですよね。これからは飛び道具、法で解決していくと。初めの長い刀ってのもちょっと調べていくと幕末の流行り、勤皇刀だと。で、短い刀がいいんだというのの説明って聞いたことありますか?竜馬がゆくでも触れてなかった気がするし、奈良本教授も説明してなかった気がします。練兵館と小千葉の塾頭がそろって短い刀を愛用する、これはどういう共通か?思うに長い刀なんて差していたら目立って職質される(江戸時代の定寸は2尺2寸5分・68cm)幕末京都の職質といえば新選組ですからね・・・そりゃ恐ろしい。こりゃ冗談ですが、二人とも塾頭といえど打ち合えば無傷ではすまない。かる~く戦ったつもりでもちょっとしたことで致命傷になるのを解っていたのでしょう。なので斬りあいは基本的にしない。斬りあいはしないけど仕掛けられたら受け止める・はじくなどの捌きの為に刀は欲しい。襲撃される場所は狭い可能性が高い。京都は路地も室内も結構狭いとこが多い。狭いとこでは長い刀は取り回しが悪い。逃げ切るには扉を開けたり消火桶を投げつけたり片手は開けておきたい。片手で扱うんなら戦国前期の片手打ちの刀。桂さんの刀は長船清光という説を聞いた気がします。というわけで短い刀は幕末の京都仕様、斬り合いからは逃げるが答えなのではないかと考えます。みなさまはどんな風にお考えでしょうか?

2022 大河ドラマ

記念になる第一回目はなにを書こうか迷いましたが、ちょうど旬なので大河ドラマの感想のようなものを書こうと思います。
一年を通じての感想は面白かった、さすが三谷さんといった感じです。最終回はなんかな~と思いましたが、、、
ここ数年、真田丸以降でも一番よかったと思います。
特に義経の人物像がいいですね。いやな感じというか駆け引き上手というかがすばらしい。義経が主人公ではこうは出来まいというようにやってくれる。すばらしいと思います。
よかった話はいくらでもありますが、今回はこうしてほしかったというのをお話しさせてください。
1つ目
子役というか兄弟姉妹の幼少期を増やそうよ。
突然五郎が出てきたり妹が方々に嫁に行ったり、りく(宮沢りえ)の息子いたの?と思ったら成人してすぐ死ぬし・・・小さいころからかわいがっているとこ見せればその後の悲しみ・暴れっぷりもわかるのに、なんだかな~と。もうちょい描き方があったのでは?みなさんはどぉでしょう?

2つ目
鎌倉時代特に前期・草創期は分割相続だぞ!と。最後らへんに自分の子を跡継ぎになんて言っていたが戦国時代以降の大名家と違うぞ、そもそも跡継ぎなんて概念があるんか?(分割相続=みんな跡継ぎみたいなもん)とツッコミいれてました。まあその跡継ぎにの意味が家督なのか執権職かそれとも両方か義時の財産相続かで意味合いが変わってくるとは思いますが、どれにしてもこの女なにいっとるんだって感じです。あの時期に泰時・朝時・政村で年齢・実績・母系の家力を考えても勝負にならんだろうと思いますが、どうなんでしょね?
和田と三浦の関係も薄いなーと感じました。
和田義盛と三浦義村いとこのはずだけどその説明劇中にあったか、なかったか?多分一度はあったんだと思うけど二人の間に一族感があんまり見えなかったし、和田義盛も三浦の家名を押すとこが無くて三浦一族の和田氏感がないんですよね。
北条家の中でも江間の話がチョロっと出ていましたが、北条義時でなくて江間義時なんですよね。北条の家の相続予定人は兄貴の宗時がいて、義時はすでに分家している身、そこで兄貴が戦死したけど親父が元気で相続人がうやむやだった。そこにりくさんが自分の息子を押し込んできて跡継ぎにみたいなことを言っていたけど、すぐに時政に何かあっても分割して相続されるだろうし、分家していたとしても北条の氏の長者(なんて言葉はなかったろうけど)には義時が年齢・能力・実績・実力(所領の量)が選ばれる他の選択肢があるんでしょうか?五郎が完全に無視されていてかわいそうでしたが。
山寺僧正がかっこよく「ほうじょうのよしとき」っていうとこまで江間義時で行けばよかったのでは。
江間の泰時と名越の朝時の話もしてほしかったなと思います。
このへんは話が長そうなのでまた機会があったら。

3つ目
人物が老けるのが遅い
信長様の時代ですら人間50年と言われているなか、この時代の平均寿命はもっと短くて50才にもなればそこそこ爺さんか結構な爺さんであろうにみんな年取らなすぎ。最後らへん(2回ぐらいか)でやっと年取った感がでてきたがそれでも60代には見えないのよね。三浦義村が最終回で「うるせージジー」と言われてキレていてもジジーに見えないと言うか最初と変わって無い気がして。
いつから大河ドラマはこんなに年とらなくなったんだ?個人的には利松のころからな気がしますが。いろいろセットやら衣装やら時代考証やらに力を入れるんならこういうとこにも力を入れればいいのにと思うんですが。

ほか
政子、大江広元が義時の後、なんぼもしないうちにお亡くなりになるのですが、そこまでやればよかったのにと思いました。タイトルが北条義時じゃなくて鎌倉の13人なんだから義時の死で終わらなきゃいけない訳でもないだろうに。
義時と義村の最後のやり取り、よかったですね。個人的には義村に襟さわってほしかったですが。
最後にこの後の流れみたいなものをダイジェストというかチョイチョイ入れて、これがこう継って北条時宗の冒頭に継るとまとめてくれたら嬉しかったなと思います。

まとめ
一年間おもしろいドラマをありがとうございました。
三谷さんもう一度脚本やってくれるといいなと思います。